誰でも名前を知っているクラシック音楽会の巨星ベートーベン。第五交響曲の出だしは誰でも耳にしたことがあると思います。 しかし、クラシック音楽をやっている人でもベートーベンの音楽は知っていても、その「人」を知っている人はあまり多くないでしょう。 ベートーベンという人について多少の伝聞を書いてみましょう。

Ludwig van Beethovenは西ドイツ時代の首都であったボンの出身ですが、家系としてはもともとオランダの出自で生粋のドイツ人ではありません。 その後ウィーンに移り活躍しますが、この時代にはピアノの教則本で有名なチェルニーを教えたりもしています。しかし全てが順調だったわけではありませんでした。 1998年、仕事を邪魔されたことに激怒したベートーベンは発作を起こし気を失いましたが、その後意識を取り戻したときに聴覚の異常に気がついたそうです。 このエピソードだけでなんとなくどんな人なのかわかってしまうと思いますが... 兎にも角にも、もちろん突然ではなく予兆はあったにせよ、これがかの有名な「難聴の大作曲家」の誕生の瞬間でした。 作曲家なのに聴覚に問題ありと悲劇的なイメージがつきまとうベートーベンですが、なんと、ある意味で自業自得だという話です。 意外なものですが、まあ、ベートーベンの人と形を表す良いエピソードではあります(もちろん本人にとっては堪ったものではありませんが)。

彼の性格ははっきり言ってかなり「難しい」ものだったのはよく知られています。では、どの程度だったのでしょうか? ある人は「一般人なら‘気違い’、金持ちなら‘奇矯な人’、作曲家なら‘芸術家肌’」などと表現していますが、相当なものであったようです。 パーティー会場にトイレからボタンをはめながら出てくるとか(当時はジッパーはまだ発明されていませんでした、と言うことです)、パトロンの王子に椅子を投げつけたりしたこともあったとか。 天才ゆえの狂気と言って仕舞えばそれでおしまいですが、彼の場合はそうでもなかったようで、意識的にやっているところが見え隠れします。 常識的なものなどに対して敵愾心を燃やすかのような態度は、近所の人々、清掃人、召使い、家主、友人、レストランのウェイターから貴族とまで問題を起こしたと言います。 まさに、嫌われんとばかりのその態度ですが、その一方で近い人々には圧倒的に慕われていたとも言います。ケレン味の強い人ってそういうものですよね。 ただ、強烈ながらエネルギッシュな、熱中した態度や行動は人々を惹きつけるものであったのは確かなようです。

しかし、ゲーテに至っては「彼の天才は驚愕に値する。しかし、彼の性格は全く自由奔放、傍若無人である。彼の世界観が完全に間違っているとは言わないが、彼にとっても他の人にとってもその態度によってすべてを台無しにしている。 天才の燭明に導かれる彼に道を示すなどということは、私以上の英知を持つものにとってもおこがましいことである。 それに比べ、われわれは暗闇の中に取り残され、かすかに漏れ来る光を元におぼろげに進む方向を手探りで探しているようなものである。 彼のそのようなところは、彼の聴覚障害を考えれば、社会的なというより彼の音楽家としての活動を考えた時、大目に見るべきなのかもしれない。 彼はもともと無口な上に、障害のせいでなおさらそうなっている。」 などと1812年にベートーベンとのTeplitzの保養地での四日間を共に過ごした後にのたまったそうです。これって、中盤はただの持ち上げですよね。やはりやりすぎは良くないようで、いくら天才同士でも相いれないものはあったようです。 ベートベンはというと「宮殿の奴らは彼を持ち上げ過ぎだ。詩人にはもったいない」などという発言をしたという話もあります。でも、ベートーベン自身はゲーテのことを当時の誰にもまして崇拝していたようですが。

ベートーベンは生涯結婚しませんでしたが、恋愛に無縁だったわけではありません。 宛先不明の「永遠の愛」へのラブレターを認めたりしていますし、独身女性のみならず既婚の高貴な女性と関係を持ったりしているようです(当時の貴族の間では割と普通のことであったようですが)。 しかし、決定的なところでうまくいかずに結局結婚しませんでした。恋愛はOKでも結婚はちょっとというタイプだったのかもしれません。

彼の逸話の中で彼の性格をある意味で端的に示し有名なものの中に、彼の甥の養育権に関するものがあります。 ベートーベンの家族は一般人の出身であり、これが貴族の既婚女性との関係が「せっかく」彼女が夫と死別したにもかかわらずご破算になった原因であったりします。 ともあれ、彼の兄弟がなくなり甥っ子が残された時に、その養育権を主張し母親と法廷闘争となりました。 ベートーベンは当時既に確立されていた名声を最大限に利用し法廷に圧力をかけ続けましたが、それでは飽き足らず、一つのトリックを使用しました。 ベートーベンの名前には‘van’が姓に付随しています。これはオランダ語では‘of'くらいの意味で特に大した意味はないのですが (ケルト系言語の〜の息子を意味する‘Mac’や〜の子孫を意味する‘O’と同じでただの修飾子のようなものです、McDonaldやO'Haraなど)、 ドイツ系の言語で‘von’が高貴な家系を意味することに目をつけ、自分は貴族の血をくむと言い張ったのです。 当時、オーストリアには貴族用と平民用の法廷が存在し、このケースは貴族用の法廷に上程されることになったそうです。 もちろん、世界にあまねく名をはせるベートーベンが、一般市民の義理の家系を相手に訴えを起す訳ですから結果は予測できます。 しかし、彼は意図せず貴族の出ではないことを自ら暴露してしまい、裁判は一般人用の法廷に差し戻されることになってしまいました。 結果的に彼は養育権を得たのですが、なんともコメントし難い話です。 必死だったのかどうなのか、アメリカではコンティンジェンシー・フィーがどうしても欲しい流行らない弁護士が使いそうな手ですね。 ただ、話はここで終わらず、甥っ子はベートーベンの保護下に入った訳ですが、ベートーベンの高圧的な「優れた人となるべき」教育方針と、 母親に全く会わせてもらえない方針に心折れついには拳銃による自殺を試みて仕舞いましたが、幸い命は取り留めました。 再びの法廷を経てまたベートーベンのもとに連れ戻された甥っ子ですが、さすがにこの時はベートーベンも無茶をせず、軍隊に入りたいという甥っ子に何も言わなかったそうです。 自分の正義と他人の正義が異なることに想いを馳せることができないと、往々にしてこんなことになってしまう一つの例ではないでしょうか。 まあ、すべて伝聞ですし会った事もなければ、テレビでもネットでも見たことがない人ですし、めんどくさいので情報の裏は取っておりません。 ここの情報はその程度に捉えてください。あしからず。

いろいろベートーベンの知られざる面を書きましたが、ベートーベンは作曲家としては古典音楽からロマン派を導き出した巨頭であるのは間違いない事実です。 彼の交響曲第5番は音楽に革命をもたらしたと言われるのには、正当な理由があるでしょう。特に終楽章はオーケストレーション的にそれまでの音楽とは一線を画しているのは事実です。 ほぼ完全に聴覚が失われていたのにもかかわらず、あの交響曲第9番を完成させた、それもあの複雑さかつ完璧さで行えたのは、 ベートーベンの天才だけではなく、何にも止められない音楽に対する熱情と聴覚がなくても音楽を生み出すことはできるという「非常識」さ故のものではないのでしょうか。

最後は、やはり、人は人であり万能な人はいない、皆人間臭く良いところも悪いとこも持った存在なのだと、いうありきたりな結論になったりします。 ただ、その人の行ったことによって良いところが強調されたり悪いところが強調されたりするのは事実です。 市井の臣として気をつけておきたいのは、無茶はしないようにということになるのでしょうか、それを打ち消すレガシーを築けないなら。

Tagged on:

Related Posts

Leave a Reply

Your email address will not be published. Required fields are marked *